Aki Lumi の庭

Aki LumiのGardenシリーズは庭という言葉から感じるような安らぎとは異なり、植物、水、遺跡のように見える建築類などが充満した<過剰な>空間だ。遠近法を狂わせて作画しているためにそこがジャングルのように閉じた空間のようでも遠方の風景が見えていたりと、視線を移しているうちに目眩を起しそうな空間表現なのである。
この森?ジャングル?のような風景は実在の風景ではなく、作家が様々な場所から撮り集めた数々の庭の素材(木々、草、川、滝、池、花、虫…)をコラージュで合成し仕上げたもので、一つの作品に多いものでは300点以上の雑多な植物などのイメージを張り合わせているという。
その彼が庭づくりと呼んでいる作業だが、まず彼は最初に建築物を建てる。もちろん土地も何もない架空の無の空間に建てる。それらはバロックの教会やカデドラル、ヒンドゥ寺院であったりと宗教建築をモチーフとして庭づくりの土台としている。彼は言う、「なぜならカテドラルも寺院も永遠の時間を内包させるべく設えられた装置であってその複雑怪奇な装飾にこそ時間を越えるという機能が集中されているからだ…」永遠につづく螺旋と曲線の装飾はその建築空間内に植えられた植物とフラクタルな関係をもち、人口と自然の境界が喪失していく。ヒンドゥーの装飾もバロックの装飾もつまるところ、同じ源と思えてくるのは、執拗に植えられた植物が執拗な装飾の繰り返しと重なりあってフォルム自体そのものが見えてくるからであろう。
彼は100枚以上の写真をコラージュする際、手作業での切り貼りを多用する。最終的にはコンピューターで合成されるが、手作業の切り貼りはイメージをより複雑に、より不可解にするのに成功している。出来上がったイメージはコンピューターの合成画像にありがちな、よく出来たリアルな風景といったものとはほど遠く、むしろ18世紀の架空建築のデッサンやミル・フルール(万華模様)によるフランドルのタピストリーを彷彿させる「写真」となっている。
さらにいくつかの作品は燃えるような赤やピンク色などで作られておりその極端さに圧倒される。この作家の極端な現実離れの美意識が作品の強度をつくりあげている。
この庭の太陽はひとつではない。陽光はあらゆる方角から射し眩しい木漏れ日となる。熱帯の湿った土に生える苔は拡大されて見上げるようなシダ植物になり、北方の大樹は縮小されて小さな庭木となる。遠くのちいさな葉がくっきりと見えると同時に手前の葉も顕微鏡写真のように細部が見える。狂った遠近感と拡大縮小のサーカス。   
この庭は様々なエレメントで過剰に充満している。
この過剰さはさらに進むのだろうか? 過剰な充満が行き着く先は原初の宇宙のような「豊穣なゼロの世界」かもしれない。

Linn K. 2009年10月

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