私は長いあいだ、「人間がつくったものとは何なのか」という問いを、写真、ドローイング、コラージュを通して考えてきました。
《The Garden》は、その問いを「自然」という最も身近で、同時に最も捉えがたい対象に向けた作品です。
私にとって庭とは、自然そのものではありません。庭師は木や草を発明することはできません。彼がするのは、植物を選び、移し、配置し、組み合わせ、関係をつくることです。つまり庭師とは、自然を創造する人ではなく、自然の見え方をつくる人です。
《The Garden》では、まず建築的なエレメントによって、現実には存在しない一つの空間を構成します。柱や壁、窓、階段、装飾など、人間がつくった形態を密度高く組み合わせ、ひとつの架空の建築世界をつくる。その上に、あるいはその内部に、世界各地の森やジャングルから集めた何百もの写真を素材として、植物、光、水、ときには動物や小さな虫の姿までを植え込んでいきます。
異なる場所、異なる時間、異なる種類の自然を、一つの空間の中で共存させる。私は写真を撮るだけでなく、写真の中に存在する自然を切り取り、移植し、配置し、関係をつくり直します。
しかし、ここで私は自然そのものを作っているのではありません。
私が扱っているのは、すでに写真になった自然です。
一枚の写真の中で切り取られた森は、その瞬間から、私たちが見ることのできる「自然のイメージ」になります。私はさらにそのイメージを切り取り、移動させ、縮尺を変え、別のイメージと接続する。その結果、現実には存在しない庭が生まれます。
この庭は、偽物の自然なのでしょうか。
私はむしろ、そこに問いを残したいと思っています。
私たちは普段、目の前にある木々や森を「自然」として見ています。しかし、世界は本当に、私たちが見ているその形で存在しているのでしょうか。あるいは、私たちは人間の身体、記憶、経験、文化を通してしか世界を知覚できないために、世界がそのように見えているのでしょうか。
私は、世界が私たちの外側に確かに存在していることを疑っているわけではありません。むしろ、世界には私たちの認識を超える厚みや抵抗がありながら、私たちはそれを自分の身体と知覚を通してしか経験できない――その矛盾に興味があります。
《The Garden》では、自然と人工物の境界を消すことによって、この矛盾を視覚化しようとしています。建築は人間がつくったものですが、そこに植物、光、水、生きものたちが入り込み、覆い、増殖していくことで、建築は次第にひとつの生命体のようにも見えてくる。反対に、植物や水や動物もまた、人工的に構成された空間の中に置かれることで、自然そのものではなく、ひとつの「風景」として立ち現れます。
自然と人工は、対立する二つの世界ではありません。
互いの中に入り込みながら、私たちが「世界」と呼んでいるものを形づくっています。
そして、この庭の前に立つ鑑賞者も、知らないうちに庭師になります。
何が近く、何が遠いのか。どこまでが植物で、どこからが建築なのか。何を自然と呼び、何を人工と呼ぶのか。見る人は自分自身の知覚によって、画面の中に一つの世界を組み立てていきます。
私は《The Garden》を、自然の美しさを記録するための写真とは考えていません。
これは、人間が自然をどのように見ているのか、そして「自然」と呼んでいる世界がどのように私たちの前に現れているのかを問い返す作品です。
自然を守ることを考えるとき、私たちはしばしば、人間と自然を別々のものとして考えます。けれども私にとって重要なのは、その境界をもう一度見つめ直すことです。
私たちは自然の外にいるのではない。
自然を見つめ、名づけ、切り取り、庭をつくり、その庭を再び自然として見る。
その循環の中に、私たち人間自身がいます。
《The Garden》は、その循環を一つの風景として提示する試みです。