『Traceryscape』アキ・ルミ作品展, ツァイト・フォト・サロン, 東京 2007

網にかけられた風景

アキ・ルミの新作 “traceryscape” はモノクロームのなにげない風景や都市の写真、その表面上に引かれた無数の極細の線、緻密に描き込まれた図形などから成り立っている。
あるものはその風景がありのままの天地ではなく、縦横をひっくり返した向きで見せているために安定したパースペクティヴを失っている。わたしたちが外の世界を知るための基準線が無造作に外されているのである。ここで風景は奥に広がるものではなく、上方や下方に続く。つまり写真とは結局平面でしかないということを改めて意識せざるをえない。
さらにその風景の表面上を自由自在に走り抜ける線や図形などをじっくりと目で追えば、これは作家が仕掛けた罠か、本来ならば写真を見てもまったく気にとめない装置としての風景の極細部に、そして普通ならば背景と言われる脇役の方に視線が止まっているのに気がつく。空に溶け込み消えてしまうほど細くなったアンテナ群や看板から垂れ下がっている奇妙な形の針金、建物に印された意味不明のマークなどが観る者の視覚にしっかりと捕らえられる。
写真的コンテキストを放棄し、つまり<イメージ>の意味よりも<紙>の表面を行ったり来たり、まるでスキャンでもしているような自分の視線に突然、気づく。しかもその時、確かに見ているものは図形であると同時に写真でもある。光学器械で定着された写真の表面上でいったい何が起こっているのだろう。重要なのは、彼はイメージの次元で修正、加筆するのではなく、あくまでもその現実の印画紙、すなわち<紙>の表面で事件を起こしていることだ。”traceryscape” は<現実の風景>、それとパラレルな関係にある別次元、つまり、わたしたちの認識空間を写しとった<架空の線と図形>、その二つの写真の緻密な重なりから成り立っている、正に1点性の「事件写真」と言える。

このシリーズではさらに昆虫の羽が別の尺度、基準線を提供する。写真ネガに直接貼り付けられた極小の昆虫の羽。つまり昆虫の羽は何百倍にも拡大されているのだ。ここでまた次元のパースペクティブが狂ってしまう。昆虫を写真に撮ってネガにするのではなく、直接拡大してしまうことで、その昆虫の羽はイメージを介することなく、事物の刻印として直に写真面に現れる。
線、図形、昆虫の羽、光の網目、それらがグレートーンの風景に混在し気持の良いマチエールと共に、新たな認識空間=traceryscapeをつくりだす。
彼は自分の作品を語るとき<システム>という言葉をよく使う。美術とはあまり縁のない言葉だが、彼の<絵><写真>を成り立たせている舞台を考えれば了解出来る。作品を作る上で彼が規定した小さな法則の類とそれぞれの関係。これは彼のデッサンのシリーズ「trace」に端的に見て取れる。このデッサンのシリーズではフリーハンドは使われず、定規とコンパスにのみよって図像が描かれた。タブローを描くように、ひとつのビジョンを目標として見定めるというのではなく、線や面などがそれぞれの自動システムにしたがって、次に来る線や面を自然に生み出し自己増殖していくような、もちろん進行させているのは作家の想像力だが、絵がいつどのように変化しあるいは事故に出遭うかわからないという偶然性を孕みながら進行して行くオートマット的デッサンのシリーズであった。新作の”traceryscape”はここから大きくステップアップしたニューヴァージョンである。タブララサから出発するデッサンと異なり、どんなに加筆しても決して消え失せることのない目の前の風景が彼の画用紙となったのだ。<システム>=関係性というものが彼の、わたしたちの世界の認識と生成にとって重要度を増してきたと確信される。

Linn K.

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