『Aki Lumi-庭は燃えている』展, ツァイト・フォト・サロン, 東京 2009
庭は燃えている – The Garden Is Burning
まずは庭園について始めてみよう。庭園とは囲まれた場所、ガルドだからそれは建築と親しい関係を持つ。建築はすなわち都市へとつながる。都市も、その中の公園も人の仕事としては最大だが、その両方が目的と実用をもっているということでエデンの役目から遠く隔たってしまった。だから庭園は大規模な人工物ではあっても目的や実用から解放されているというところで「美」の領域にある。人は文明の当初から自らの世界を創造しようと自分のまわりのもの理想化し世界をシミュレートしてきた。エデン、パラダイス、桃源郷、花園、庭園。もちろん神から与えられたというキリスト者のエデンをなぞる必要はまったくない。古代ペルシャのパラディーシャpairidaezaからはじまりギリシア、中国の庭園、すべてが同じ理想を同じ形式でかたちにしようとしているではないか。建築的理想と畏怖されるべき自然が鬩ぎあう場所。人工の自然を造る場所。人が見ることのできる万物を詰め込む場所。庭園は自由なイメージの舞台を与えてくれる。
都市の写真を撮り、複雑な人工物と思っていた機械の写真を撮って今は庭園を考えてみる。森で収集したイメージのデータバンク。そこから取り出した数百のプリントを切り刻む。世界を巡って集めた寺院やカテドラルの写真。まずこれを切り抜いて、刻んで、バロックの大伽藍を再構築してみる。ヒンドゥーの寺院をイメージの断片から建築する。なぜならカテドラルも寺院も永遠の時間を内包させるべく設えられた装置であってその複雑怪奇な装飾にこそ時間を越えるという機能が集中されているからだ。永遠につづく螺旋と曲線。そしてその建築空間内に植物を植えていくのだ。熱帯の湿った土に生える苔は拡大され見上げるようなシダ植物になって、北方の大樹は縮小されて庭木になる。植物園から持ってきた異形の寄生植物も。地球上のあらゆる雑草を下草に。そう、ここは研究室にある絶滅植物種のDNAバンクなどではなく、そこに生きて花を咲かせる植物群の園というわけだ。きれいな葉を一枚一枚はり付けていくころには圧倒的な植物群が土台の建築物を溶解させ始める。さらにもっと花を咲かし、溢れんばかりの水を流し、眩しいほどの光を与え、気に入った動物を解き放つ。庭園、ガーデンは存在しない永遠の場所の証拠写真として造られた。
ガーデンは燃える剣によって閉ざされた永遠の楽園、隠された庭ホルトゥス・コンクルススHortus Conclususであって、剣越しに見える花園はその剣のごとく赤く燃え続けている。
aki Lumi